江戸時代以降より、町民から[緑井の毘沙門さん]と呼ばれ親しまれてきた権現山・毘沙門天。正月は境内の七福神詣で、縁起ものの破魔矢や福熊手を求めることができます。毎年2月ごろに行なわれる[初寅祭]には、厄除け・商売繁昌を願う大勢の参拝客で賑わいます。
縁 起
広島・緑井権現山にある「毘沙門天」は、須彌山(しゅみせん)の中腹におられて仏法をお守りになる四天王の一人で「多聞天」ともいい、北方の守護神です。 現在の毘沙門天堂は1065年頃、現在地に修業僧教尊が行基菩薩の作といわれる毘沙門尊像を安置したのが始まりです。
正安元年(1299年)毘沙門天を尊信していた武田氏は銀山城中築城の時、北方の守護として僧覚信坊により願成寺を建立、さらに三京、豊用、西明、東明、光林、玄道、神宮の七ヶ寺を建立しました。その後、毛利氏の広島城築城とともに願成寺は広島に移され、毘沙門堂・仁王門・東明・西明寺のみ残されました。
境内には1千年の歴史を物語るかのように、聖観音像・福石・縁結び岩・七福神石像・修業大師像が現存し、商売繁昌・縁結びの福の神として、中・四国はもとより、広くその信仰を集めています。本堂には、御本尊毘沙門天と共に脇侍として吉祥天、並びに禪尼師童子の御尊像をお祀りしてあります。
平成26年(2014年)8月の豪雨により、境内に甚大な被害がもたらされましたが、熱心な信者、および地域やボランティアの方々の手により再建することができました。 毘沙門堂被災からの復興記録